FacebookやXのフォロワーさんなら、もうすでにご存じかと思うのですが、私、乳がんの疑いがあります。
今月中に検査、来月には生体検査&金属埋め込み手術の予定です。
(マンモトームと呼ぶらしい)

実は、15年前に、母を肺がんで亡くしました。
母ひとり子ひとりな環境だったせいか、とても内容の濃い入院生活を「看病する側」として経験しました。
当時、独身を謳歌中で身軽だった私も、今は妻であり、母であったりします。
夫は働き盛りで、子どもは先日小学一年生になったばかり。
できることなら、家族に負担はかけたくない。
でも、いざという時は、甘えさせてもらおうとも思っています。
(延命はしないと決めているけどね)
「潜在意識の世界では、望んだ通りの未来がやってくる」……と教えてもらった事があります。
考え方によっては本当にその通りで、これまでの私の人生は、ほぼ思い描いた通りのあっぱれな出来でした。
逆境に負けずに道を開き、自分の夢を叶え、それなりに大胆な恋愛をし、誰にも縛られることなく自由奔放に生きて、40歳になる前に素敵な人と結婚して出産。
なんて理想的な人生なんだろう♪……と自画自賛したくなるクオリティ。
本当に「望んだ通りの未来がやってくる」と仮定するならば、なぜ私は「乳がんの疑いがある現在」を呼び寄せたんだろう。
そして、その後の未来をどう描いていくのだろう。
自分なりに紐解いてみました。
まず、なぜ「乳がんの疑いがある現在」を呼び寄せたのか。
それは、もう単純明快。
ここのところ、「自分の人生」を生きていなかったから。
そして、「自分は大切な存在なんだ」と実感したかったから。
「アレやってみたいなぁ。でも、あの人に何て言われるかわからないから、やめておこう」
「コレ欲しいけど、私には勿体無い贅沢品だから、買わないでおこう」
「何考えてるかわからない人が迷惑行為してくるから、よくわからないけれどとりあえず謝っておこう」
……的な。
誰かに、何かに、気を遣いすぎて、自分のやりたいことを後回しにしたり、気持ちをないがしろにして生きてきた結果、潜在意識が「やりたいことしようぜ」「君の人生だろ」というサインを「病気」という形で出してくれているのではないか。
(あくまでも仮定だよ)
実際、「乳がんの疑いがある」とわかって、「こんなことやってる場合じゃない」と気付かされたり、「残りの人生を自分らしく生きたい」と、これまでよりもさらに強く思うようになりました。
「自分にとって、大切な事かどうか」「自分にとって、大切な人かどうか」の線引きが、より一層はっきりとクリアになったんです。
以前、興味深いコラム記事に出会ったことがあります。
「『自分の人生を生きていないとき』人は病気になる」というタイトル。
梯谷幸司さんという、知らない男性が書いたものでした。
今調べたら2016年に書かれたものだった模様。
(もう9年経つのか……)
その中にも、言葉にできなかったことや行動できなかったことへの未練が、病気を引き起こしている……というような内容が書かれていました。
シンクロしてる!
過去に辛い経験をした痛みのわかる人や、根っからの心優しい人であればあるほど、自分を犠牲にしがちなように感じます。
うん。
弱いからじゃない。
強いから我慢できてしまう。
「これからは、人にばかり向けていた優しさや思いやりを、自分に向けてあげてもいいんじゃないかな」と思えるようになりました。
こう思えるようになるまで、43年もかかるとは、なかなか拗らせてるなぁ!笑
これまで、本当によく頑張ってきたし、たくさんの人の笑顔を作ってこれたと思います。
(そりゃ、時には失敗したり傷つけたりしたこともあったけれど)
これからの未来のシナリオ、どう描こうかな♪
ちょっぴり……いや、かなり楽しみになってきた夜なのでした。
やりたいことリストつくるかな♪
追伸:「元気なうちに遊ぼうね」っていう投稿に、励ましのメッセージを書いてくれたみんな、どうもありがとう!
前向きに考えられるパワーをもらいました!
本当にありがとう!