今朝、ふと思ったことがあるんです。
「ひょっとしたら、『何をどう見るか』で世界はガラッと変わるんじゃないか」
木漏れ日があったかくて「幸せだなぁ」って思ったんですよ。
でも、昔の悲劇のヒロイン時代の私だったら、きっとそうは思えていなかったなぁって。
なんでだろう?
自分なりに考えてまとめてみたので、お時間がある方はどうぞ。
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20代の頃、メンタルが不調だったことがありました。
今考えると、見えていた世界がとにかく狭くって、自分のことを考えるだけでキャパオーバーでした。
とても傷つきやすく、自分の心を守ることに精一杯。
「弱い犬ほどよく吠える」とは言い得て妙で、自分がそれ以上傷つかないようにするために、防衛する意味で誰かに向かって攻撃的になったりもしていました。
いちいち誰かのせいにしがちだったなぁ。
こうなると、どんどん周りが敵に見えて、自分が「ひとりぼっちなんだ」と感じてしまいます。
負のループ。
当時の私には、世界は「とんでもなく残酷なところ」に見えていました。
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今の私はというと、随分落ち着きました。
そして、毎日幸せです。
40代になるまでに、失敗からいろいろ学び、リカバリ力がついたからかもしれません。
何かが起こっても「こういうときはこのパターンだな」「こうすれば解決できるはず」と大体のイメージが湧いてくるので、慌てることもほとんどなくなりました。
それに、私の周りには素敵な人がたくさん居てくれます。
お互いに協力し合って、高め合い助け合い、「ひとりじゃない」という安心感が、常に背中を温めてくれています。
現在の私には、世界は「あったかくてわくわくするところ」に見えています。
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何が違うんだろう?
たとえ時代が変わっているとしても、同じ「世界」を生きているはず。
たぶん……
①物事をどう見るか
②それにどういう意味づけをするか
なのかなぁーと。
「思考の癖」がミソなのかも。
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例えばアルコール消毒。
アフターコロナの現在、感染症を予防するために、手指消毒しますよね。
あれって手が荒れてると、傷に染みてめちゃくちゃ痛いんですよね。
でもプリプリツヤツヤな傷のない手だと、痛みは感じない。
これって心と似てるなぁーと。
心が健康だとヘッチャラなことも、心がボロボロだと突き刺すような痛みを感じたりする。
こまめにハンドクリームを塗ったりするみたいに、心の傷を作らないためにできることってないかなぁ。
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私が心の不調から抜け出せたキッカケを振り返ってみます。
悲劇のヒロインをやめたかった私は、偶然インターネットのコラムでみた「ありがとうの数を数えてみる」作戦をすることにしました。
レジを打ってくれた店員さんに「ありがとう」
駅前の広場を掃除している人に「ありがとう」
寒い中でも咲いている花に「ありがとう」
あったかく照らす太陽に「ありがとう」
……こんなかんじで、とにかくどんどん「ありがとう」の数を数えるんです。
そうすると、気づくんですよ。
家族や恋人がいなくたって、「ありがとう」は世界に溢れているって。
ひとりぼっちじゃないって。
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そこから世界がガラッと変わりました。
いや、変わったのは「世界の見え方」であって、自分自身でした。
世界はずっと優しかった。
私はずっと幸せだった。
「何をどう見るか」で、自分の世界は変えられる。
幸せに生きるのも、そうじゃないのも自由。
世界は自分が創っているんだ。

