どう生きるかは、選べる

2024年3月18日

3/18はサイヤの日

だから、サイヤ人のこと話すわよ
単刀直入に言うと、サイヤ人のこと好きよ

地球上に数人しか居ないサイヤ人

マイノリティでも、過剰に権利を主張しない
不平不満を述べることもなく、ひたすら自分を高めようと楽しみながら生きている

その姿勢は尊敬に値する

なぜなのか考えた

彼らサイヤ人が被害者ビジネスしないのは、肉体的にだけじゃなく精神的にも鍛錬を積んできているからなんじゃないかしら

心体共に圧倒的強者なのよね

それ故の「余裕」がある

何度も地球をピンチから救うも、民に感謝されることもない
人知れず修羅場を超えてきたのに、名誉も金銭も要求しない

誰かの役に立っているのに、見返りを求めない

もう気づいてる人もいると思うけど、彼らの行動は見返り目的じゃないんだな
思考のベクトルが相手じゃなくて、自分を向いている

じゃあ私たち地球人はどうだろう?

「全ての問題は『人間関係』にまつわるものだ」と言われるけれど、それは「課題の分離」ができていないからと言える

有名人のスキャンダルで騒いだり
学校や職場で誰かを蔑んだり
他人の失敗にとやかく言うのは「課題の分離」ができていないことの表れ

本当に大切なのは「他がどうなのか」ではなく「自分がどうあるか」よ

地球に住むサイヤ人は、生き様でそれを教えてくれてる

フリーザが来たってセルが来たって
「オラたちは被害者なんだぞ」
「もっと金くれ」「保証しろ」「差別だ」
なんて言わないし、そもそも人のせいにしない

いつも「自分がどうするか」を見ている

私たち地球人は、サイヤ人みたいな特殊能力はないけれど、彼らの姿から学ぶことはできる

どう生きるかは、選べる

戦闘バカの孫くんが、敵にさえ手を差し伸べたように
冷酷だったベジータが、誰かを思いやれる人間になれたように

社会的マイノリティであるはずのサイヤ人の姿は、私たちに勇気をくれる

ピンチに陥ったとき、人は本性を現す

そんなときこそ、地球で暮らすサイヤ人の姿を思い出したい