絶不調期から、こんにちは。

ブログ書きたい。

ついさっき、ひさしぶりにそう思いました。
一体、何か月ぶりだろう。

気が変わらないうちに書き始めてみました。
長い間心につっかえていたものが、ついに取れそうな気がするので、思うままに書いてみたいと思います。

右手にラップトップパソコンsurfaceを持っているおかっぱミユキの画像。黒い革のソファーに座ってきりっとした表情をしている。

突然書けなくなった

去年8月あたりにパタッと文章が書けなくなりました。
ブログの様な、ある程度まとまった長い文章を書く「心と時間の余裕」がなくなっていました。

書こうとしても、書けない。
立ち上がりたいのに、立ち上がる地面がない……そんな感覚でした。

Twitterの様な短い文章はちょくちょく書けていたので、文章が嫌いになったわけではないようでした。

子供の頃から国語が好きで、作文なんかは張り切って書いていたので、本来、文章を書くのは好きなタイプだと思います。
それが訳も解らないままできなくなるのは、地味にショックでした。

仕事のペース

思い返してみると、それまでの半年くらい、ほとんど休んでいませんでした。
ありがたいことに仕事の依頼が絶えず、それに応えたいと、休日は月に一度のペースでした。

今考えると、完全に頑張りすぎです。

「個人事業主は自分で仕事のペースを管理できないとつぶれる」と、解っているつもりだったのに、実行できていませんでした。

さらに、月に一度の休日も、家事や育児の手を抜きたくないと真面目にやってきたせいで、知らず知らずに心がすり減っていたのだと思います。

人間としての時間

2018年の12月に第一子となる娘が生まれ、子育てをしながら家事もこなし、夫の協力もあって仕事も順調にできていました。

しかし、子供が2歳になるとそうも言っていられなくなりました。

発達がゆっくりなわが子にもついに自我が芽生え、「してほしい事」「嫌な事」を泣きわめく事で意思表示するようなると、事態は急変します。
「母親としての時間」がぐんと増え、ブログを書いたり作曲をしたりする「自分の時間」だけでなく、お手洗いに行ったり飲み物を飲んだりという「人間としての時間」もが底をつきそうになりました。
泣きわめく娘を放っておく選択もできたのでしょうが、むしろそっちの方がストレスでした。

そして11月、ついに緊張の糸が切れ、私が崩壊したのでした。

崩壊

泣きわめく娘を抱きながら、私も泣き叫ぶ。
死にたいと何度も思う。

そんな日々が続きました。

しゃべれない、オムツも取れない、ご飯も食べられない、コミュニケーションがとれない、「こんなふうに娘の発達が遅いのは私のせいだ」と、毎日自分を責め続けました。

妊娠がわかり娘を生むと決めた時には、想像もできなかった「まさかの事態」です。

SOS

どうせ死ぬのなら、最後にすこしだけ頑張ろう。
「死にたい」という願いは、いつか必ず叶うことが約束されているんだし。

そう思えたのはラッキーでした。
身近な友達にSOSの連絡をして、さらに、SNSに「もう無理」「助けて」と書いたんです。

すると、全国の仲間たちが手を差し伸べてくれました。
「今すぐ行く」と駆けつけてくれる友達もいました。
私が住んでいる自治体の、子育て相談ができる団体や一時的に子供を預かってくれるサービスを調べて、情報を送ってくれる友達もいました。

なんとありがたいことでしょう。

おかげで今日も生きています。
私の友達は、命の恩人です。

立て直し

落ち着くまで、友達が交代で家に来てくれることになりました。
おしゃべりをしたり、散歩をしたり、一緒に娘の面倒を見たり。
それだけでかなり心が救われました。

そして「ひとりじゃないんだな」と改めて感じました。

真面目に考えれば考えるほど、いつのまにか真剣になりすぎてしまって、勝手に孤独な戦いをしていたんです。

「子供は泣くものよ」「泣いたからって責任を感じ過ぎなくてもいいのよ」
そんな友達の言葉で、行きたいときにお手洗いに行けるようになりました。

もちろん娘は号泣しますけどね。

私なりの休養

12月は、できる限り心を休めることにしました。

自治体のあらゆる子育てお助けサービスに申し込み、週に一度、託児所に娘をあずけたりして、少しでもいいから「自分の時間」を設けられるようにしました。

「自分の時間」といっても、家事をしたり仕事をしたり、何かしらやることがあったので、「わーい!やったー!自由時間だ」とスキップするわけではなく、「あ!そういえばアレやってなかったなぁ」と思うことを一つずつこなしている感じでした。
溜まっていたタスクがどんどんこなせたので、心の負担もかなり軽くなりました。

これが「休養」と呼べるのかはわかりませんが、私にとってはかなりの進歩でした。

リハビリ

2022年になってからの半月は、できるだけ何もしないことを心がけました。
年末に仕事も一通り片付いたので、しばらく新規案件は受けないことにしました。

それでも何かしらやってしまうもので、家事育児のちょっとした空き時間に、読書をしたり、ゲームをしたり。
娘を預けられる日には、動画の撮影をしたり、ギターを弾いたり、勉強したり。

「誰かのため」ではなく「自分のため」の時間が取れるようになってきました。

そうすると、心の調子もいいみたいで、娘や夫に優しくできる余裕が出てきました。

気づき

しばらくの間、自分の意思を我慢しすぎて、心の余裕がなくなってしまっていたんでしょうね。
これでは相手のためにも自分のためにもなりません。
本末転倒です。
しかし、それに気づかないくらい視野が狭くなっていたんです。

本当、仕事も家事も子育ても、ひとりでやるもんじゃないなぁ。
周りの助けを借りながら、そして自分も周りを助けながら、協力し合ってやるもんだよなぁ。

友達や家族や専門機関に「助けて」「手伝って」と甘えてもいいんですよね。

甘えることがとっても下手なタイプですが、ここが頑張りどころですな。
「甘えることを頑張る」って、なんだかちょっと変ですけどね!笑

とめたい

ひさしぶりのブログ記事、とりとめのない文章だけれど、やっと書き終えることができそうです。
よかったぁぁぁぁ。

ゆっくり少しずつですが、いろんなことへの意欲が再び芽を出しそうです。

これまで「人の役に立つこと」を重視した生き方をしてきましたが、これからは「自分のやりたいこと」を優先して生きてもいいのかなと思っています。

今回の絶不調期は、もしかしたらこんなふうに意識を変えるチャンスだったのかもしれません。

長いようで短い人生、死ぬことは約束されているんだから、自分のために生きてもいいんだよ、きっと。
……と自分に言い聞かせているのでした。