先日のこと。
意外すぎることに驚いて、心の目玉が飛び出た。
「おかっぱちゃんが羨ましいよ」って言われたから。
これまでの私の人生は、東海テレビの昼ドラ制作部が引くくらいドロッドロよ。
なかなか体験できないヤバいこと、沢山経験させてもらえたし(皮肉)。
絶対「おかわり」したくない!(つまり今が一番幸せ)
いや、言いたいことはそんなことじゃなくて。
今回は、この「羨ましい」という感情について書いていきたいと思う。
他の人はすごい!
「あの人はスゴイなぁ」
「自分なんてまだまだ」
って思っている人、実は結構いるのかもしれない。
私も、思いっきりその一人。
自分以外の人が輝いて見えるときが、よくある。
確かに、みんな輝いている。
自分が経験したことのないことも沢山経験してきただろうし、自分にはできないことが沢山できたりもする。
冷静に考えれば、当たり前のことなんだけどね。
その人の人生を生きることなんて、できないんだから。
「すごいなぁ」と思うのは、きっと大丈夫。
問題なのは「自分なんて」の方だ。
自分なんて……?
自分の未熟さを悲観してしまうのは、あまり良くない。
「自分なんて」と口にするたび、耳から聞こえてきて、脳で認識してしまう。
繰り返していくと、自己肯定感がどんどん失われて、自信を失う。
自信を失えば、できることもできなくなってしまう。
朝早く起きれる人だって、早く走れる人だって、会社に勤めることができる人だって、逆上がりできる人だって、九九が言える人だって、みんな、私にはない能力を持っている人だ。
九九は忘れた。
尊敬はするけれど、自分を卑下したりはしない。
これでいいんだ。
「あの人はすごい」と「自分なんて」は、イコールでは結べない。
いや、結ばない。
自分にもできることと、自分にしかできないことがあるから。
慢心と自信は違う
ぶっちゃけ、今回「羨ましい」って言ってもらえて、「もしかしたら、ちょっとはすごいのかも」と思った。
(単純)
慢心するのは良くない。
けれど、自分を卑下するのは、もっと良くないことだ。
冷静に、自分の立ち位置を客観視する必要がある。
これがなかなか難しいんだけどね。
いい流れの時こそ「酔わず、驕らず、浮かれず」
林修
謙虚にして驕らず
稲森和夫
自分の認め方
訊いてみる
客観的に自分を分析することは難易度が高めだけれど、褒めてくれた人に「どこが羨ましいか」を教えてもらうことはできそう。
その人との関係性にもよるけどね。
気軽に尋ねることのできる相手なら、「客観視したいから協力して!」と、思い切ってインタビューしてみてもいいかもしれない。
書いてみる
自分にできることを紙に書いて数えてみると、頭の整理にもなっていい。
自分を褒めてくれる人から教えてもらった「意外な自分の良いところ」も書き添えると、もっと精度が上がりそうだ。
自分の手で文字を書くのは、非常にいいらしい。
描くことで身体を動かし、見ることで視覚を刺激する。
それを声に出して読めば、耳からも入ってくる。
まとめたい
自分のことって、めっちゃ解ってることと、てんで解らないことが極端だ。
そんな時こそ、頭の整理。
頭が整理できれば、不思議と精神的にも落ち着く。
みんなが適度に適切な自信を持てたらいいね。
私も久しぶりに、インタビューして書き出してみるかな。
自分の芝も、青いかもよ?