くだらないことが面白いのは、なぜだろう?
「いつまでも、そんなくだらない事ばかりやっていないで、宿題しなさい!」
子供の頃、マンガを描くことに夢中になっていた私は、よく母にそう言われた。
今思うと、宿題なんかよりも、マンガを描くほうが100倍面白かった。
面白いことは、なんでくだらないんだろう?
つまらないものはつまらない
先日は、月に2回の英会話レッスンだった。
ネイティブアメリカンのミシェル先生とマンツーマンで1時間、英語のみを使って会話する。
私はミシェル先生のレッスンが大好きだ。
毎回とても楽しみにしている。
でも、最初は違った。
レッスンの日が近づくと、とても憂鬱な気分になった。
ミシェル先生はとても面白いのだけれど、テキストがものすごくつまらなかったからだ。
ミシェル先生のレッスンを受け始めて3か月くらいたった頃、思い切って「このテキストは私にとってとても退屈な内容だ」と伝えてみた。
ミシェル先生はゲラゲラ笑ったあと、「教えてくれてありがとう!私もこのテキストつまらないと思う!」と言ってくれた。
それからというもの、学習にはテキストを使わなくなり、宿題も自分でやりたいこと以外無くなった。
テキストは封印し、気が向いたら開くスタイルになった。
(私は、なんて不真面目な生徒なんだろう……でも結果的によかった!笑)
仕方がない。
つまらないものはつまらないのだから。
面白くすればいい
出番のなくなった教科書の代わりに、辞書を引かない日常会話がレッスンの中心になった。
英語で「すべらない話」をしている感じだ。
何気ない毎日の中で起こったハプニングを、面白おかしく話したり、笑いながら聞いたり、興味深いことを質問したりする。
内容からすると、なんの変哲もない、他愛もない会話だ。
例えば、こんな感じ。
「消しゴムは、アメリカ英語だと”erasor”だけど、イギリス英語だと”rubber”だよ。
でも、アメリカで「”rubber”を貸してください」って言っちゃだめよ。
どうしてだと思う?
正解は、コンドーム貸してくださいって意味だから❤︎
いやーん!笑」
解らない単語が出てきてら、英語でミシェル先生に質問し、英語で説明してもらう。
「それって、こういうこと?」と確認したり、ノートに図解したりもする。
これが、かなり面白い。
形式ばった会話よりも、自然な英会話を身につけることができるし、慣用句もたくさん覚えられる。
どうやら私には、決められたテキストでの学習より、自由な勉強スタイルのほうが合っているようだ。
やらされるのはつまらない
英会話レッスンを例に挙げたが、他のことにも同じことが言える。
「これをやりなさい」と誰かに言われるよりも、「これやりたい」と自分で思ったことをやる方が、面白いし身に付きやすい。
こんな話を聞いたことがある。
ゲームばかりして宿題をしない子供に困った親が、毎日の「ゲームの達成ノルマ」をつくり、毎日決まった時間きっちりゲームをやらせてみた。
ノルマが達成できなかった日は、反省文と改善案を提出させる。
するとそのうち、その子供はゲームが大嫌いになってしまった。
しかし、今度はマンガを読み始め、宿題をやるようになったわけではなかった。
楽しいことであっても、やらされた途端につまらなくなる。
あれ?
もしかして、多くの企業は、社員が仕事を大嫌いになる仕組みを採用しているんじゃ……?
くだらないのは誰にとって?
くだらないことは、面白い。
その「くだらない」は誰にとってだろう?
「くだらない」と思っているのは、「自分以外の誰か」だ。
そして、自分は「とても興味深い」と思っている。
では、自分にとって興味深いことが「くだらない」とされるのは、なぜだろうか?
おそらくこのあたりの理由だと思われる。
- スピーディーかつ簡単にお金になりそうにない
- 師としている人物に評価されにくい
- 周りに格好がつかない
実に利己的だ。
こうやってリストアップしてみると、夢中になってやっている本人の意思なんてお構いなしだということがわかる。
まとめる
どう生きるかは、周りの人が決めることではない。
何をするかは、自分で決めることだ。
そして、自分の好きなことは、自分のやりやすい方法でやればいい。
(そのためには、広い視野と柔軟な対応力が必要だけれど)
さぁ、くだらないことも堂々とやろうぜ!
最後に、世界的に有名なジョンさんの言葉を置いておく。
人の言うことは気にするな。「こうすれば、ああ言われるだろう……」こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。
ジョン・レノン